タスクフォースでは、いろんな横顔をもつ看護補助者の皆さんが働いています。どんな想いで看護補助者の道を選んだのか、実際に働いてみてどうだったのか、家庭やプライベートとの両立はできているのか。
率直に語っていただいたので、ぜひ参考にしてみてください。
| 年齢: | 20 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 2 年 |
| 前職: | 俳優 |
| 年齢: | 20 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 3 年 |
| 前職: | YouTuber、動画編集 |
| 年齢: | 30 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 13 年 |
私は高校時代、福祉科に通っていました。実習で高齢者施設に行く機会もあって、人と関わる仕事にやりがいを感じるようになりました。卒業後はバイトをしながら俳優活動を続けていました。
俳優活動だけでは、どうしても生活が安定せず、悩んでいました。そんな時、兄(K.Y.さん)から「夜に働きながら昼間の時間を自由に使える仕事があるよ」って、看護補助者の仕事を紹介されたんです。
俳優のオーディションやレッスンは昼間が多いので、夜勤専門なら両立できるかもしれないと思い、2022年11月から看護補助者として働き始めました。今は、夏に起きた事故の影響で俳優活動は一時休止していますが、その分趣味のバイクに乗る時間が増え、プロライダーを目指して練習に打ち込んでいます。
看護補助者の仕事は、私が担当する病棟は比較的症状が重い方が入院しているため、患者さんとたくさんお話しをすることは難しいのですが、おむつ交換しているときなどに「ありがとう」と声をかけてもらえると、本当に嬉しいし、やりがいを感じます。医療の現場で働くことにも誇りを持ちながら、自分の夢に向かって、これからも走り続けたいと思っています。
大学を卒業して、大手企業で営業職として働き始めました。仕事も順調だったのですが、昔から感じていた「自分で何かを作りたい」「自由に挑戦したい」という気持ちを抑えきれなくなり、グループYouTuberに所属することにしました。そのため、YouTuberとの両立により、会社やお世話になった方々に迷惑をかける形になるのは嫌だったので、悩んだ結果退職することにしました。
それからは、グループYouTuberとしての活動に精力的に取り組みながら、身につけた動画編集スキルを活かして、フリーランスの動画編集者として仕事を受注していました。
動画編集の仕事は、収入が不安定。昼間は動画撮影や、打ち合わせ・編集の作業があるので、夜に働ける仕事を探していた時に、タスクフォースの看護補助者の募集を見つけました。
資格がなくても始められるし、深夜手当もあって収入もしっかりしている。それに、病院という現場でいろんな人と出会えるところにも惹かれて、2022年5月から看護補助者として働き始めました。「動画編集やYouTubeの活動も続けたい。でも、長男として家族を支える存在として、ちゃんと安定も必要だ」そんな想いで選んだ道です。
実際に働いてみると、看護師さんや患者さんと関わる中で新しい刺激をもらえることも多くて、今ではこの経験が自分にとって大きな財産になっています。現在、YouTuberの活動は休止していますが、動画編集もしながら新たな挑戦を模索しています。
入社して14年目に入りました。入社から現在までNICU・GCUという新生児の集中治療・回復の病棟で勤務させていただいています。
選んだきっかけは勤務地と勤務時間が自分に合っていたからです。恥ずかしながら看護補助者という仕事については働き始めるまで知りませんでした。
看護補助者という仕事について前知識がほとんどなかったので、働いてみてちがった点というのは特にありませんでした。事前に病棟を見学させていただくことができたので、実際に働く姿をある程度イメージすることができました。
困った事や疑問に思うことがあれば、タスクフォースの担当の方が電話やメールで迅速に対応してくださるので助かっています。
私の所属している病棟は月に3〜4回ほど土日勤務があるのですが、振替休みが平日なのが個人的には助かっています。急な患者さんの入院などがあると残業することもありますが、頻度は高くありません。同僚の方と協力することで、ほぼ希望通りに休みは取れていると思います。
私の仕事の一つひとつは、資格などが要らない範囲の、誰にでもできる小さなことばかりです。しかし、看護師さんが看護師さんにしかできない業務に集中していただくための助けとなっていて、それがひいては患者さんのためになっていると思って仕事をしています。医療を支える一端になれているとすれば、それがやりがいだと思います。
苦労とまでは言えませんが、新生児の病棟なので衛生面については一般病棟以上に気をつかっているかと思います。また、診療に使用する物品には、他病棟に置いていない新生児用の特殊な物も多いので、その管理にも気をつけています。一般病棟と比べて患者さんの介助に直接関わることは少ないですが、小さく生まれた児たちが日に日に大きくなっていく姿を見ると嬉しくなります。
※NICU=新生児集中治療室、GCU=新生児回復室
私は看護補助者という仕事のことをあまり知らずに働き始めましたが、気がつけば10年以上が経っていました。基本的に勤務時間中は立ちっぱなし動きっぱなしの仕事にはなりますが、合えば長く続けることのできる仕事だと思います。病棟によって業務内容も様々ですし、経験してみて初めてわかることが多いと思うので、興味のある方はまずは始めてみてはいかがでしょうか。
| 年齢: | 30 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 7 年 |
| 前職: | 看護補助者>退職>再入社 |
| 年齢: | 30 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 1 年 |
| 前職: | 美容師、介護士 |
| 年齢: | 40 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 7 年 |
| 前職: |
大学卒業後、看護補助者になり3年程働き、結婚を機に引っ越しした為、一度退職しました。その後、通える地域に引っ越してきたので、再入社しました。 休みの日は好きなドラマを観たり、犬と遊んだりしています。
キャンプや温泉も好きで、たまに行って気分転換しています。
最近は少し韓国語を勉強し始めて、いつか役に立つ事があればいいなと思っています。
医療関係に興味があり、看護補助は資格や経験がなくてもできるということ。そして、誰かの役に立つ仕事ができると思い選びました。
想像していた以上に、一日中動いています。慣れるまでは足が痛くなったりして、体力もいる仕事だと感じました。
仕事で困ったことや、ちょっとした悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれるので、不安なく仕事に取り組めるので助かっています。
残業はほとんどなく定時で帰ることができます。有給休暇や振替により平日に休みも取れるので、リフレッシュしやすく、オンオフの切り替えもしっかりできています。
患者さんの笑顔や感謝の言葉は嬉しいです。患者さんが回復され、退院されていくのを見ると、本当によかったなと、いつも感じます。
一度引っ越しをして職場が遠くなってしまったのですが、また通える地域に引っ越しをしたのと、声をかけていただいたこともあり、少しでも経験を活かすことができたらと思い、再入社させていただきました。
医療関係で働くのが初めてだったので、最初は不安もありましたが、会社の方や現場の先輩方が丁寧に教えてくださり、サポートしてくれるので安心して仕事ができます。患者さんやご家族の方からの感謝の言葉を聞くと、すごくやりがいを感じられる仕事だなと日々実感しています。
私は母が40歳のときに生まれ、父と姉とともに4人で幼少期を過ごしました。しかし、中学生のときに父を亡くし、それ以降、母はたった一人で仕事と子育てを両立させながら、懸命に私と姉を育ててくれました。
思春期の私は、多感な年頃ゆえに、周囲から母の年齢について言われるたび、複雑な気持ちを抱えていました。母の苦労や想いに気づかず、反抗的な態度をとってしまったことを、今でも強く後悔しています。しかし、大人になった今、母がどれほどの愛情と努力を注いでくれていたのかを痛感し、「今度は自分が母を支えたい」という想いが募るようになりました。
家族が上京したのは、姉の仕事の都合がきっかけでした。姉が東京で働くことになり、「それなら家族みんなで母を支えていこう」と決意し、家族での上京を決めたのです。
北海道では美容師やショップ店員として働いていた私ですが、上京後に選んだのは介護士の道でした。その理由はただ一つ。「母も年を重ねる中で、介護のスキルが必ず役に立つはず」と思ったからです。
しかし、姉は看護師として土日も勤務があり、わたし自身も介護士として働くうちに、同じく土日休みがとりにくい現実に直面しました。母の年齢を考えると「いざというときにすぐ駆けつけられる環境でありたい」その想いが、わたしの心を強く揺さぶりました。
そこで転職を決意し、たどり着いたのが「看護補助者」という仕事でした。ここでも介助スキルを身につけることができ、さらに医療現場での経験を積めることも、母を支えるために大きな力になると確信しました。「母に恩返しがしたい」そんな想いを軸で選んだ仕事で、地域の医療を支えています。
病院の看護師は常に慌ただしく動き回り、患者さんとゆっくり会話をする時間がなかなか取れません。そのため、患者さんも「忙しそうだから…」と遠慮してしまい、なかなか自分の希望を伝えられないことがあります。
そんな中で、看護補助者としての役割が生きてきます。例えば、患者さんを車椅子でレントゲン室へお送りするときや、お部屋の掃除に伺ったとき、できるだけ世間話をするようにしています。何気ない会話の中で、患者さんが抱えている小さな要望に気づくことができるからです。
「何かしたいことはありますか?」と聞くと、「実はお風呂に入りたくて…」と遠慮がちに話してくださる方もいます。そうした声をキャッチし、看護師に伝えることで、患者さんが少しでも快適に過ごせるお手伝いができる。この「患者さんと看護師をつなぐ役割」に、大きなやりがいを感じています。
未経験で入職して8年目になります。入った時は、娘2人とも小学生。私は初めてのフルタイム勤務という感じでした。
介護関係の友人たちの話を聞いて、自分もその分野で探してみたところ、看護補助者の仕事を知り、興味を持ちました。
よかった点:自分より年上の様々な人生を歩んでこられた患者さんと話す機会がたくさんあります。ある程度、社会経験がある年代から始めたので、臨機応変に対応できていると思います。
大変だった点:病院は日常とは違う世界です。衛生面での考え方、安全に関すること、聞き慣れない物品や検査の名前などが慣れるまでは大変に感じました。
新人の頃は営業担当の方が月に何度も声をかけてくれて、困っていることがないか気にかけてくださいました。また、書類関係から業務内容まで、質問や疑問には誠実に迅速に対応してくださるので安心して働くことができています。
入職した時はフルタイムが心配でしたが、不規則な勤務ではないので計画的に休みを使うことができます。平日にやること、土日に回せることと優先順位を決めています。
ありきたりですが、「ありがとう」と言われたときです。患者さんや看護師さん、清掃の方から事務の方まで多くの人と接するので「ありがとう」は、言うことも、言われることも多い職場です。
病棟内では、入院案内、退院後の片付け、物品補充、食事の配膳など。病棟外では、患者さんをリハビリや検査に移送したり、薬や物品を取りに行くなどです。動けない患者さんの買い物の手伝いや、病院生活に不慣れな患者さんにお声掛けすると喜んでいただけることが多いです。依頼が重なった時に患者さんをお待たせしてしまう時は心苦しく思います。業務が重なる時は仲間と声掛け合って、お互い助け合いながら滞りなく進むよう心がけています。
この仕事は奥が深いと日々感じています。何年たっても分からないこと、迷うことがあります。次はこう進めたら、こんな対応したらもっとうまくいくかなと考えるのは、仕事のやりがいでもあります。看護補助者の仕事は医療行為以外の部分ですが、それでもこんなに役に立てる場面がたくさんあるんだなと実感できる仕事です。
| 年齢: | 40 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 1 年 |
| 前職: | 事務、オペレーター |
| 年齢: | 40 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 11 年 |
| 前職: | エステ関係 |
| 年齢: | 50 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 1 年 |
| 前職: | 医療事務 |
縁の下の力持ちの役割を軸に、職種や業種にこだわらず従事してきました。介護職、病棟看護補助の経験を活かし、現在は外来看護補助者として勤務しておりますが、営業事務やオペレーター業務の経験もあります。
元々チームワークで行う業務や、お世話をしたり、人の役に立つ仕事が好きで、これまでも福祉関係の仕事を選んできました。自身の生活スタイルも変化していくなか、経験を活かせる仕事の選択肢の一つに看護補助の仕事があり、現在に至っております。
現在の外来看護補助者は、これまで経験してきた介護職や病棟看護補助者と違う動作や作業がたくさんあり、大変だった点は、使う筋肉が違い、体の使い方もまったく違う点です。すぐに慣れることはできましたが、細かく覚えるルールや備品管理ひとつにしても動きが異なるため当初は大変で、新たな発見でもありました。また、介護職を経験しているので、身体的な負担はかなり軽減されたと感じています。
勤怠管理や様々な連絡がスマホひとつで完結でき、助かっています。申請も専用アプリでスムーズに対応してもらえるのはありがたいです。また、印象に残っているのは面接時の対応です。詳細も細かく教えていただき、仕事を紹介していただく際の皆さんの対応がよかったため、この会社で働いてみたいと思いました。
時間の管理は大切にしています。何事も前向きに考えるように行動しておりますが、基本的に定時で退勤でき、自分自身で設定した両立がおおむね叶っている環境ではあります。業務で迷った時には職場の方々に相談し、気持ち的な面では家族など身近な人に相談しながら、ストレスを溜めないようコントロールしています。
一緒に勤務する部署の方々や患者様から、「助かったありがとう」、「今後もずっと一緒に働けたら嬉しい」など、具体的なお言葉をいただくたびにやりがいを感じ、励みになっています。
部署により異なりますが、私の現在の業務は、午前中は健診センター、午後は化学療法室での作業となります。
午前中は健診センターにて超音波検査を受けた患者さんの対応、主に超音波検査終了後の腹部ゼリーの拭取りやその後のご案内業務となります。
午後は化学療法室に移動し、リクライニングチェアの調整、身の回りの環境整備、簡単な清掃を順次行っており、基本的にはルーティンワークが多いです。様々なパターンがある中で、患者様や同部署の方々からの日々の労いや感謝の言葉がやりがいにつながっております。
女性の方が多い職場だと思いますが、実際に勤務していて”主婦業”が活かせる仕事だと感じています。具体的には業務上での環境整備など、自分も日々家事をしていて整理整頓が好きなので、自然と役立てることができます。未経験の方でも、家事の延長線上でチャレンジできるお仕事です。
高校卒業後は、理容学校へ進学し、理容師免許を取得。エステ業界へ入りましたが、結婚のため退職。子供が小学生までの間はパートで接客業などを経験し、その後、子どもが中学校に入り手が離れてから、タスクフォースに入社しました。
人の役に立ちたいと思ったからです。
とにかく1日の歩数が半端ない。もう少し楽な仕事だと思っていました。ただ、患者さんから「ありがとう」と言う言葉を聞くとやっていてよかったと思います。
身内に不幸があった際、急な申請でしたが有休をいただけました。
私は病院から一歩出たら仕事の事は一切考えません。家族はとても理解があるのでオンオフの切り替えがはっきりしています!
看護師さんから感謝の言葉をかけてもらったり、患者様からの感謝の言葉ですね。
娘は看護師になりたくて1年、看護補助者として働きました。時間帯も違いましたので、一緒に仕事することも病院内で会うこともなかったのですが、娘の上司に「素直な子ですね」と言われた時は嬉しかったです! 今では看護師になり、さらにがんばっているようです。
最初は何も分からないと思いますが、分からなくていいと思います。ひとつずつ丁寧に教えてくれる先輩がいますので、1人じゃないです! やる気さえあればできる仕事です。みんなでがんばりましょう!
私は、大阪のいくつかの病院で14年ほど、外来の医療事務全般の仕事をしておりました。
医療事務の仕事は好きだったのですが、椅子に座ってパソコンで作業するより、体を動かす医療の仕事がしたいと思うようになり、タスクフォースの担当の方に相談したところ、看護補助者の仕事を教えていただきチャレンジすることにしました。
よかった点は、患者さんの移送、オペ迎え、検体出しなど、外回りがとても多く、緊張感がありつつも、常に体を動かせるところ。移送、お迎え、急ぎで薬を撮りに行くなどの依頼が重なると、最初は何を優先したらいいか分からず困ることもありました。
初日にオリエンテーションがあり、1日かけて病院内を案内していただきました。病院はとても広いので、検体や輸血、ポンプなどを取りに行く場所を事前に教えてもらい助かりました。
仕事は、日勤と遅出の2通りあります。どちらも残業はないので、前もって予定を立てていても、予定通りにできています。
緩和病棟があるのですが、看護師さんと一緒にトロリーという介護用具でお風呂介助を行います。1時間ほどゆっくり入っていろんな話をしていると、気持ちよさそうにいびきをかいて寝入る方がおられます。着替えが終わるころに「すごく気持ちがよかった。最高です。ありがとう」と言っていただけると、とても嬉しく、やりがいになっていると感じました。
※緩和病棟=がん患者などに専門的な緩和ケアを提供するための病棟
仕事量が多いことです。病棟内の作業、患者さんの外回りが重なるときは、患者さんを優先するのですが、そうすると病棟内の作業がおろそかになることがありました。リーダーからのアドバイスや、慣れてきたこともあり、今では両方こなせるようになりました。
仕事の内容は、何ひとつ難しいことはありません。ほとんどの方が未経験から始めるので、体を動かしたい、人と接するのが好きという方は、楽しく仕事ができると思います。
| 年齢: | 50 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 1 年 |
| 前職: | 販売、受付 |
| 年齢: | 50 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 1 年 |
| 前職: | エステサロン経営 |
| 年齢: | 60 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 2 年 |
| 前職: | 通訳、翻訳 |
販売職やコンビニ、店舗での受付など、接客行に20年以上にわたり携わってきました。
物品の売買ではない業種で、今までの接客経験を活かせる仕事を探していました。看護補助の仕事は、時間帯が今のライフスタイルにマッチしていたので選びました。
想像以上に動く(とにかく歩く!)仕事で、1年中汗をかくため、冬でも寒さを忘れてしまうくらいです。
何かあった時にすぐに話ができる環境のため、なんでも聞いてもらえます。お休みの希望も事前に申請していれば問題なくとれます。
両立出来ているかは分かりませんが、お仕事が終わったらなるべく気持ちを切替えるようにしています。
環境整備や配下膳の時に、患者様の様子に違和感を感じ、看護師さんに報告しました。その気づきにより患者様の早期対処につながり、大事を未然に防ぐことができました。
チーム作業はできるだけ時間通りに終わらせるようにしています。1人病棟なので他の病棟に手伝いに行くことはできないのですが、たまに2人勤務になる時があります。その際はメンバーの仕事の負担が少しでも減るよう、業務の割振りを考慮して、円滑に業務を終えられるよう配慮しています。
些細なことでも自己判断はせずに、看護師さんに聞くことです(特に患者様のことや機器関係について)。
エステサロンを経営しておりました。看護補助者歴は5年になります。20歳の息子がいるシングルマザーです。
2020年のコロナ禍の緊急事態宣言で、経営していたエステサロンの売上が不安定になりました。コロナが落ち着き売上が安定するまでと思い、安全で運営が止まらない仕事として大きな病院で働くことに行き着きました。未経験でもお仕事ができること、準夜勤帯のお仕事があったので、サロンと平行して勤務ができることも決め手でした。
医療の知識がまったくなかったので、「何をするんだろう?」でしたが、実際にお仕事をしてみて「こんなにやることがあるんだ…」と驚きました。毎日が勉強と知識の詰め込みの連続でした。そのおかげで「”人の役に立つ”ってこういうことなんだ」と実感することができました。初めての義歯洗浄、ポータブルトイレの片付け、おむつ交換などは戸惑うこともありましたが、数をこなすと慣れました。せん妄の方や認知症の方の見守り、小児科での寝かしつけなど、なかなか大変なこともありました。
他の派遣会社の時もありましたが、タスクフォースはしっかり守ってくれている、寄り添ってくれているのでとても心強いです。リーダー業務をしていると常にいろんな問題がありますが、しっかり連絡を取り合って一緒に悩みサポートしてくださいます。
息子はもう20歳で手もかからなくなりましたが、高齢の母が同じマンションの1階に住んでいるため、朝からは自分のお店と母と息子の食事の用意など、できる限りのことをして出勤します。プライベートの時間はほとんどないですが、月に1回の家族での食事会が一番の楽しみで息抜きになっています。
患者様からの嬉しい言葉や、看護師さんから「助かりました」と言っていただけた時です。患者様には言葉でうまくコミュニケーションがとれない方もいますが、排泄介助や寝衣交換後に気持ちよさそうな表情やにっこりして伝えてくださると「よかったー」と思います。
急性期病院では、緊急入院や急な部屋移動に検査出しとバタバタすることもありますが、資格と経験があることでスムーズに判断・対応ができ、看護師さんからも信頼も高くなることで安心して頼んでいただけます。資格は自分の価値を高めることができると思います。
身体介護のあるなしで業務内容がかなり変わります。まずは身体介護なしでスタートし、身体介護ありへとステップアップするのがおすすめです。看護補助者のお仕事は、医療と介護、両方の知識を得ることができます。医療と介護が連携している場ではとても必要とされるポジションだと思います。人の支えになることができ、やりがいもあるとても素晴らしい仕事です。是非チャレンジしていただきたいです。
生まれはタタールスタン共和国で、民族はタタール人です。趣味は、予め脚本を書いてのビデオ撮影、発酵食品づくり、物づくり、日本文化、旅行です。樹脂部品製造の検査員、タイヤ製造メーカー、日本語国際学校、バレエ学校、自動車会社などでロシア人研修生や先生の日露通訳・翻訳の仕事をしていました。
様々な分野で働いた経験から大事なことを発見しました。それは「健康は動きである」ことです。部品検査、パソコンにくっついて翻訳するときに、頭、肩、腰などの痛みでだけではなく視力も低下しました。そして、自分の心に耳を向け、動くだけではなく、心のこもったやさしさを必要としている人に、やさしさを届けたいと思いました。
患者さんを車椅子で様々な検査出しに案内する際、他人の命を預かっていることを意識すると、注意深さと集中力をアップすることができます。たくさんの人とコミュニケーションし、日本の文化・伝統に触れ、e-Learningを観聴し、メールやお知らせを読むことで、私にとって病院は日本語学校のような現場となっています。また、医療チームの一員として働かせていただいていることは自分にとってとても光栄です。
大変な点は、自分自身の性格が人の痛みや死に弱いことです。ある患者さんが心の中にあるもっとも深い感情や秘密を、まるで容器から液体を注ぎ出すかのように打ち明けてくれ、しばらく立ってから亡くなったときは耐えられない思いでした。
タスクフォースのスタッフとして働かせいただいてから7年になりました。働き始めて3ヶ月後に所有権の問題で里帰りしなければならなくなりました。その頃の担当者Mさんは私が勤めていた病棟を訪れ、課長さんに長い休みの許可をいただけるようお願いするためにわざわざ来てくれました。次の年には病気になって手術をすることになりました。高額医療手当を申請するための制限が3日間しかなかったのですが、Mさんは一生懸命に、間に合うよう調整してくれ、雨の中、家まで書類を取りに来てくださったおかげで手当がおりました。
現在、私の担当者は(別の)Mさんです。いつもご親切に接してくれます。私はイスラム教徒の信者です。身体のために食べるより、心の癒しとなっている礼拝行為をするために許可、条件、行う場所などが許されていることはMさんの対応のおかげです。また、息子がアメリカにいるので毎年2週間ほどの休暇をいただいています。故郷がとても遠いことをご理解し、やさしく「気を付けていってらっしゃい」とのお言葉で励ましくれます。
元々の性格はポジティブで、勤務表が決まったらプランを決めます。手間、体力がかかることは休みに行います。夫もやさしい人で、洗い物などを手伝って、必要に応じてサポートをしてくれます。家を出るまでのパターンをきちんと決めているので時間の効率もよく、気持ちも軽く、楽しく朝の勤務が始められています。
イスラムの神髄は「自分が好むこと、物を相手に与えなさい」。美徳は感謝です。自分は健康でいることに感謝しています。それが患者さんに役立つのなら、光栄であり幸せです。心をやわらかく、共感が育つよう心がけています。お身体が弱い、病気をしている患者さんを温もりのあるお言葉で慰めることが最高の薬になるのだと思っています。人間らしく生きるために、人々の心に愛、慈悲、優しさが育つよう努力しなければならないと思っています。
第二世界大戦時に極東で捕虜になった患者さんが、ロシア人に助けられたそうです。それを思い出して私と親しくなり、面会に来ている娘さんと一緒に様々な話をしました。ある日、この患者さんと娘さんと通路で会いました。患者さんは私の右腕に尊敬を表す気持ちでチューしてくれました。
人はお金を払ってエアロビクスやスポーツクラブに運動をするために通います。看護補助者の仕事は、逆にお金をもらいながら体を動かせます。勤務はシフト制なので、希望どおりの休みも取れます。自分のライフスタイルに合わせて仕事ができます。病院で様々な経験をすることで、自分の健康を守ったり、維持する知識がさらに高めることができます。看護補助者の仕事は、流動的でやりがいがある業務です。
| 年齢: | 50 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 6 年 |
| 前職: | 商社、スポーツトレーナー |
| 年齢: | 70 歳代 |
|---|---|
| 勤続: | 22 年 |
| 前職: | 工場 |
商社勤務。DUTY FREE SHOP勤務。JATI(日本トレーニング指導者協会)のスポートツトレーナーとしてスポーツクラブ・介護施設でエクササイズを指導、プログラム作成に携わり、看護補助者に至ります。
医療現場で働くうえでのコミュニケーション能力や倫理観を重視しています。医療用語や医療機器に関する知識が得られること。状況を的確に判断し、臨機応変に対応できることから選びました。
病棟と救急を経験していますが、どちらもよい環境で楽しく仕事ができ、満足しています。救急は、正確な判断と体力が必要とされます。体調管理も仕事のうちと個人的には思っているので、ケアを怠らないようにしています。
組織の3要素(共通の目的、貢献意欲、コミュニケーション)が再確認できました。また、相手の状態=私の責任・価値ではないことを学べました。
週1で、ジム、ピラティス、ダンスに通っています。ランチ巡り、ショッピングなど、自分の好きなこと、楽しいことをしています。高齢者は、筋力・柔軟性を養うことによってケガを予防することができます。
看護師が困っていることや必要としていることを先回りしてサポートするよう心がけています。それを感謝されることで自己肯定感が高まり、自信につながります。やりがいを強く感じることで、さらに貢献しようと目標を立てることができます。
医療に関する知識(薬の名前・種類、器具の管理・使用方法など)が身につきました。悲惨な状況を目にすることもあり、外来では常に緊張感をもって対応しています。看護師のサポートを通して、医療チームの一員として貢献できていることには喜びを感じています。
看護補助者は、超高齢社会の日本において注目されている仕事のひとつであり、資格や経験がなくても医療現場で活躍できるのが魅力です。体力に自信のある方、コミュニケーション能力や責任感がある方におすすめです。
前職はまったく違う工場の仕事をしていました。病院で働きだしてから、主人が病気で倒れ、自身が働く病院に運ばれお世話になりました。その時に勤務の融通をきいていただいたり、先生や看護師さんによくしていただきました。
たまたま見つけた求人で看護補助者のことを知り、人のためになる仕事ならと応募したのがきっかけです。現在は病院と同じ区内での1人暮らしで、通勤もしやすく助かっています。
医療の知識も何もなく、勤務を始めてから病院にはこんなに様々な仕事をする方がいるんだと驚きました。迷惑をかけないよう早く仕事を覚えたいという気持ちはありましたが、自分にできること、指示されたことを丁寧にこなすことを心がけていました。
以前はタスクフォースの忘年会があり、いろいろな部署の方と食事をしたり話を聞いたりできたことが楽しかった。コロナを機になくなってしまったことが寂しいです。
お休みの日には近くに暮らす孫と出かけることが楽しい。過去には孫と2人でカラオケに行ったり、横浜までライブを見に行ったことも。仕事は日常に組み込まれていて自然に身体が覚えているため、両立が辛いと思ったことも意識したこともないです。
病院に入院している方は少なからず不自由を感じている人ばかり。自分にできる範囲のお手伝いをしたいと思って仕事に取り組んでいます。指名で自分を呼んでくれる患者さんがいたり、自分がした些細なことでこんなにも感謝されることがあるんだと実感できることにやりがいを感じます。
とにかく今が楽しい。仕事をさせてもらえることが嬉しい。いつまで働かせていただけるか不安に思うこともあるが、現在は大きな病気もなく、身体も自由に動きます。できるだけ長く働かせてください(笑)
楽しく仕事をしなさい。どこに行っても、何の仕事をしても、嫌なことや辛いことはある。気にしていたら何も勤まりません。すべて仕事と思えば気も楽になるし、楽しくも思えるようになるものです。
※アンケート調査およびインタビューは、2025 年に行ったものです。